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私には子どもがいる。私にとって唯一、何の疑問も疑いもなく宝物と断言できる存在である。今の私が笑ったり泣いたり怒ったりする生活を送れているのは紛れもない、この子のおかげだ。

Twitterでの私を知っている人たちにはこんな女が母親か子どもが可哀想だと思われるかもしれない。実際、こんな女が母親など出来るのだろうか、この子は不自由な思いをしないだろうかと悩んだ日々もあった。今も、本当は時々そんな風に不安になることもある。

でも、だからなんだ、と私は言わなければならない。私が変わっていけばいい、私がしゃんとすればいいのだ。この子には問題がない。生まれた時から、腹の中にいた時から、この子には何の罪も欠点もなかったのだから。この子が母親の私に合わせて変わる必要などないのだ。けれど私は違う。私は変わらなければならない。私はこの子を大切にすると決めたし、この子を嘘で傷つけないと決めたから。そして私は絶対に変われるのだこの子がいるから。この子がいてくれるのに変われなかったら、それはもう、ぶち殺されるべきだ。



私たちにも、幼い時があったことを思うようになった。あの頃の私たちは皆、絶対に何の罪も欠点もないさらりと真っ白な存在だった。子どもが年を重ね、思いを重ねていくうちで拗れるのは、環境のせいではないのだろうか。子どもだった頃、私はその考え方が環境のせいにして逃げるサイテーな自分だと思っていた。母親になって思った。子どもの頃、特にまだ未発達のうちの頃の子どもが何かをこじらすのは、環境のせいだ。それは家族、学校、社会、テレビ、その他諸々の、子どもに触れる全ての情報が作る環境。恐いと思った。せめて私だけは、しゃんとしなきゃいけない。悪いことをしたって反抗したって構わないから、世界は広いということと選ぶ権利があることとその責任とを、教えてあげられるようにならなきゃいけない。と、思った。

情けないけど今の私ははっきり言って頼りない。自分のこともまだきちんとできない。他のお母さんたちよりずっと課題も改善点も多い親だと思う。でもやるしかなくて、そのやるしかないということに押し潰されそうになった時に子どもの優しい寝顔があって、それが私を支えてくれる。

大切にするというのは本当に大変なことだ。でもこの指輪があるから大丈夫だ。それからピアス。

あとはまあ、焼酎と、煙草。こればっかりは…こればっかりはお許し頂きたい…神様なんていないけどお許し頂きたい…

アーメン。