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友人に声をかけてもらって卓球の試合を見てきた。私(若しくは大半の人々)が思う卓球はピンポンであって、卓球はピンポンではない、ということがよく分かった。それから、友人が卓球にどれだけ誠実かってことも。

懐かしいなと思ったのは、体育館だ。あの独特の匂い、光るコート、緑のネット、コートを仕切る簡易フェンス、高い天井、コートの上で鳴るシューズ、私はもしかすると今になってようやく、体育館という場所が好きになっていたのかもしれない。

話は変わって。
生きる上で、人生は一度きりだから命を大事にしなさいという刷り込みは、正しくないと思う。命を大事にするということは何なのか、そう刷り込まれてきた私たちは考えるけれど、そうして出た答えは私たちの生き方を酷く束縛する。人を殺してもいい、とは思わない。他人の命(つまりは生活や未来)を絶つ権利は恐らく持ち合わせていないから。でも先に言った刷り込みの影響によって自分の生き方を束縛されたり、生き方そのものに圧力をかけられたりするのは不本意だし、ちょっと待ってよと言わざるを得ない。自分勝手に生きる権利は平等にある。ただ、その権利の使い方を間違えないかどうか、大人は不安で怖いのだろうと思う。私は間違えたことがある。周りは泣いたり、私ではなく自分を責めたりしていた。その時の罪悪感は今もこの先もきっと忘れない。自分勝手に生きる権利の使い方を、私はもっと知って学ばなければならないと思っている。



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真面目な話をしたら煙草に手を掛ける癖、喫煙者には多そう。